創業History
HISTORY 創業History
「おじいちゃんは
あの会社で働いていたんだよ」
子孫にそう誇れる会社にしたい。
そんな思いつながる会社、
NBSロジソル。
![「社会の役に立つ仕事をしたい」戦後の焼け野原で誓った決意。](./images/img_determination.jpg)
「社会の役に立つ仕事をしたい」
戦後の焼け野原で誓った決意。
NBSロジソルの創業は1968年、創業者は十時由松(ととき よしまつ)。
由松は第二次世界大戦中、予科練習生として戦闘機パイロットになるための訓練を行っていた。
同期40名のうち33名は戦死した。
終戦後、焼け野原となった日本で、由松は誓った。
「生き残ったこの命で、何か社会の役に立つ仕事をしたい」
それが、NBSロジソルの始まりであった。
![「東椎運輸」設立。椎茸の輸送からスタート。](./images/img_start.jpg)
「東椎運輸」設立。椎茸の輸送からスタート。
由松は当初「東京椎茸株式会社」の運輸部門に勤めていた。 大分県は椎茸の特産地であり、東京の百貨店等へ贈答品用の椎茸を運んでいた。 もともと、輸送には国鉄貨車(現在のJR)を利用していたが、国鉄のストライキにより輸送が ストップしてしまった。 そこで、由松は自分で2tバン車を購入し、大分から東京まで試験運行を行った。 運行の目途が立つと、本格的にトラックでの輸送を開始。 1968年1月5日、東椎運輸株式会社が設立され、由松が社長となった。 これが後のNBSロジソルである。
![独立、そして「日豊運輸」へ社名変更。](./images/img_independence.jpg)
独立、そして「日豊運輸」へ社名変更。
東京で椎茸を下ろした後、トラックを空のままで九州に帰らせるのは大きな機会損失である。
そこで、由松たちは営業活動を行い、様々な取引先を開拓した。
当時、関東ー九州間のトラック長距離輸送は先進的な取り組みであった。
由松はトラック輸送の将来性に着目し、独立。
その際、東京椎茸で共に仕事をしていた10名ほどの仲間が会社設立に参画し、支えてくれた。
そして同年7月24日、「日豊運輸株式会社」へ社名変更。
日田の「日」と豊後の国の「豊」を取り、日豊とした。
また、「日に豊かになる」との願いも込められていた。
![「東椎運輸」設立。椎茸の輸送からスタート。](./images/img_point.jpg)
「無い無い」尽くしの会社経営。
苦労の連続の中で訪れた転機。
設立当時の会社は、信用・金・地盤とあらゆる経営資源が無く、相当な苦労が伴った。
従業員へ支払う給料も資金が足りずに、由松の妻が自分の貯金を切り崩して支払ったこともあった。
そんな中、会社の大きな転機となる出来事があった。
1973年 東洋サッシ工業様(現:LIXIL様)との取引開始である。
東洋サッシ工業様の工場(現:千葉県野田市)に飛び込み営業を行ったのがきっかけであった。アポなしの営業に、当然守衛室で止められていた。そこへ、当時の部長様が偶然そばを通りかかり、「話を聞きたい」として門戸を開けてくれた。
これを契機に、NBSロジソルは建材物流のノウハウを蓄積していくことになる。
2代目社長へ世代交代した途端、直面した最大の危機。
それを乗り越えたのも「人」の力であった。
取引先が増え、会社の経営も徐々に安定してきた頃、1990年に十時康裕が2代目代表取締役社長、由松は代表取締役会長に就任した。
その直後、バブルが崩壊。日本経済は長らくの低迷期に陥ることとなる。
その波はNBSロジソルの経営にも大きな影響を及ぼした。
会社は間接部門や原価などのコスト削減を徹底的に行った。その一方で、「全員営業マン」を社長方針に掲げ、営業活動に奔走した。
幸いにも、当時から大手優良企業との取引を行っており、信用不安もなく、不景気化であってもある程度の荷量を確保できていた。
厳しい施策を実行し、赤字経営が3年間続いた後、4年目にしてやっと黒字に戻ることが出来た。
会社最大の危機となったが、この危機を乗り越えられたのは、まさに様々な「人」の助け、社員一丸となって取り組んだ結果であったと言える。
![「おじいちゃんはあの会社で働いていたんだよ」子孫にそう誇れる会社にしたい](./images/img_pride.jpg)
「おじいちゃんはあの会社で働いていたんだよ」
子孫にそう誇れる会社にしたい
由松が生前、社員によく語って聞かせていた言葉がある。
「今は小さな会社だが、将来は大きくする。君たちに子や孫が出来たら
『ここがおじいちゃんの勤めた会社だ』と自慢できる、立派な会社を作りたい」
由松の死後も、その思いは引き継がれ続けている。
HISTORY TIMELINES NBSロジソル年表
1968年
-
1968年
「東椎運輸株式会社」設立
椎茸の輸送からスタート
「日豊運輸株式会社」へ社名変更 -
1976年
下妻営業所(現 茨城営業所)開設
-
1977年
熊本営業所 開設
-
1982年
TDK事業所 開設
-
1985年
北九州営業所 開設
東京営業所(現 埼玉営業所)開設 -
1987年
大分営業所(現 大分港営業所)開設
-
1990年
代表取締役会長 十時由松 就任
代表取締役社長 十時康裕 就任 -
1991年
「ニッポー物流サービス株式会社」へ社名変更
本社 新社屋落成 -
1993年
松本営業所(現 信州営業所)開設
-
1995年
中津事業所(現 中津豊前営業所)開設
綾部事業所(現 京都営業所)開設 -
1996年
売上100億円突破
-
1997年
熊山営業所(現 岡山営業所)開設
-
1997年
久居営業所(現 三重営業所)開設
-
1999年
SB事業所 開設
-
2000年
引越事業室(現 きらくだ引越センター)開設
-
2001年
北大阪営業所(現 京阪営業所)開設
-
2003年
日豊物流(大連)有限公司
-
2003年
通関業開始
-
2011年
「株式会社NBSロジソル」へ社名変更
-
2013年
つくば営業所 開設
-
2015年
鳥栖物流センター 開設
-
2015年
代表取締役会長 十時康裕 就任
代表取締役社長 河野逸郎 就任 -
2018年
50周年を迎える